日本にコーヒーが伝わったのはいつ?今日までの軌跡をご紹介

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今日の日本では、当たり前のように飲まれるコーヒー。このコーヒーが日本にいつ伝わったのかをご存知でしょうか。今回は、日本にコーヒーが伝わり、人々の日常に浸透するまでの歴史をご紹介します。

目次

日本のコーヒーの歴史 はじまりは鎖国中の出島から

江戸時代、鎖国していた日本では、長崎の出島で唯一貿易が許されていました。コーヒー豆が日本に伝わったのは、まさに鎖国の最中。オランダ商人によって、出島にもたらされたと言われています。

しかしながら、通訳や役人など、ごく限られた人々しかコーヒーを飲むことはできませんでした。加えて、お茶文化が浸透した日本人には、コーヒーの独特な味わいが受け入れられなかったとも伝えられています。

よって、鎖国時代にコーヒーが日本に伝わったものの、広まるまでには至りませんでした。そこから100年以上も経過した1826年の江戸時代後期、オランダ人のシーボルトが「日本にはコーヒー文化が浸透していない」ということを知りました。そこで日本に向けて、コーヒーが健康や長寿に効果的な良薬として宣伝し、日本のコーヒー文化の普及に一役買ったと言われています。

開国後、文明開化とともに広がるコーヒー文化

日本が開国すると、西洋文化を取り入れる文明開化の時代とともに、コーヒーも少しずつ広まっていきました。幕末の1858年に日米修好通商条約が結ばれると、コーヒー豆の正式な輸入が開始。そして1888年、日本で初となる喫茶店「可否茶館」が東京にオープンしました。

可否茶館を始めたのは鄭永慶(てい えいけい)。アメリカ留学の経験があり、海外の文学カフェをイメージして作ったと言われています。

明治時代、コーヒーの普及に影響を及ぼしたのは可否茶館だけではありません。それは、珈琲の愛好家が集う「パンの会」の存在でした。そのメンバーは、石川啄木、北原白秋、高村光太郎ら明治時代の歌人や詩人。

日本橋のカフェで毎月集い、コーヒーや談義を楽しんだと言われています。そして一般にもコーヒーが浸透し、大衆化が進んでいきました。

第二次世界大戦で輸入が途絶える

しかし第二次世界大戦が始まると、コーヒーは「敵国飲料」として輸入が途絶えてしまいました。コーヒーの輸入が再開されたのは1950年。それまで日本では代用コーヒーとして、大豆やドングリを使用していたと言われています。

輸入の全面自由化と日本に馴染んでいくコーヒー文化

1960年、コーヒー豆の輸入が全面自由化。その後も上島珈琲が世界で初めて缶コーヒーを発売するなど、人々の日常にコーヒーが馴染んでいきました。

上島珈琲が缶コーヒーを発売したのは1969年。その翌年の大阪万博にて、缶コーヒーは爆発的な人気を博しました。それまではコーヒー飲料といえば瓶が主流でしたが、万博から今日に至るまで、缶コーヒーは日本人に愛され続けています。

また1996年、スターバックスが日本1号店をオープンさせました。スターバックス社が手がける深煎りコーヒーは日本人の好みにマッチし、現在に至るまでコーヒー文化の普及に大きく影響を与えています。

国産のコーヒーも作られるように

今では日本でもコーヒーの栽培がされるようになったりと、コーヒー文化がどんどん広がっています。小笠原や、沖縄などで栽培されています。詳しくはこちらの記事をご覧ください。

 

貴重な国産コーヒー!日本のコーヒー栽培事情とは?

さいごに

全日本コーヒー協会によると、国民1人当たりが1週間でコーヒーを飲む杯数は、10.62杯(2018年)でした。

(参考)全日本コーヒー協会 日本のコーヒーの引用状況 http://coffee.ajca.or.jp/

この結果から、1日1~2杯はコーヒーを楽しむ人が多いことが分かります。それ程、今日の日本ではコーヒー文化が普及しており、その楽しみ方も様々。ドリップコーヒーやエスプレッソ、コーヒーカクテルなど、日本では各国のコーヒー文化が取り入れられています。

日本とコーヒーの歴史を辿った今回ですが、最初は受け入れられなかったコーヒーの味がここまで人気になるとは、誰が想像したでしょう。そんなことを誰かと話しながら、今日もコーヒーを傍らに素敵な時間をお過ごしくださいね。

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